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イギリスで紅茶文化が発達
1662年、ポルトガルの王女キャサリンがイギリス王室に嫁ぎました。このとき、大量のお茶と砂糖を持参し、当時貴重だった砂糖をたっぷりと入れて、珍重品だったお茶を毎日飲んだのです。これが貴族の間で、おおはやり。たちまちお茶は大流行しました。
その後、お茶の輸入を独占的に行っていたオランダの東インド会社に不満を抱いていたイギリスは、1669年、オランダから茶を輸入することを禁じる法律を制定。そして2国は戦争を始めます(第三次英蘭戦争(1672年~1674年)。この戦争に勝利したイギリスはオランダからお茶を輸入する権利を奪うと、中国・福建省の廈門(あもい)を拠点に、お茶の輸入を開始しました。
このことが、イギリスで紅茶文化が発達する大きなきっかけになりました。なぜなら、廈門に集められたお茶は、現在の紅茶に似た半発酵茶の武夷(ぶい)茶だったからです。このお茶は、茶葉の色が黒かったことからブラックティーとも呼ばれていました。こうして、発酵させない緑茶から半発酵のお茶へと人気が移り、紅茶文化が花開いたのです。
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